戦国武将に学ぶコミュニケーション術 【其の一】
戦国時代は小説やドラマでおなじみですね。
最近はゲームだけでなく、“刀剣女子”のようなファンまで増えてきました。
とはいえ、これらの物語の多くは華やかな部分にスポットを当てている傾向があり、その実情となると、まだまだ知らないこともたくさんあります。
そのひとつが人材管理。
戦国時代の武将は皆、多くの部下を抱えていました。
そして現代の管理者と同様、部下の管理に悩んでいたようです。
そんな悩める武将の部下管理術を見てみましょう。
目次
1.家康さんの場合
「コミュニケーションは質より量じゃんね」
徳川家康さん。
皆さんは、この人にどんなイメージを抱きますか?
忍耐の人。
“狸おやじ”と言われたずる賢い人。
野戦がやたらと強い人。
信長や秀吉に比べて面白みがない人、等々色々ありますね。
もうひとつあります。
それは“コミュニケーションの達人”です。
この家康さんにはひとつ変な”癖”がありました。
それは「手紙魔」。
とにかくあちこちに手紙を書きまくります。
顕著に表れたのが関ケ原の戦い前です。
その話をする前に、少し当時の歴史を軽く振り返ってみましょう。
1598年に豊臣秀吉が死んで以来、徳川家康派と石田三成派の対立が激しくなってきました。
三成は家康の策謀で失脚してしまうものの、反家康の動きは止まらず、会津の上杉景勝に半ば言いがかりをつける形で上杉討伐の軍を起こすことになりました。
家康を大将とする軍が向かうものの、宇都宮まで行ったところで三成が京で挙兵します。
そこで家康軍は作戦を変更して西に取って返し、三成と戦うことになりました。
その決定がされた、小山評定が行われたのは7/25。
そこから西へ向かうのですが、家康だけは江戸にもどったまま動きません。
関ケ原の戦いは9/15に行われますが、家康が重い腰を上げたのは9月に入ってから。
その間何をしていたか諸説ありますが、向背定かでない武将たちを見極めていたといわれています。
この7/25から戦場に着陣する9/14の52日間に、家康が書いた書状は161通(Wikipediaの情報を元に計算)。
一日平均3通の手紙を出していた計算になりますが、誰宛の手紙が多かったかがポイントです。
書状数の多かった上位4人は以下のとおりです。
【福島正則】 … 書状数14
- 東軍の先鋒を受け持つ最強の部隊を率いていた。
- 豊臣秀吉とは親戚関係だったため、裏切る可能性が高かった。
- 福島正則に裏切られると、家康側の敗北につながる可能性が高かった。
【伊達政宗】 … 書状数9
- 関ケ原の陣には参加していないが、上杉の後方の抑えとして重要だった。
- 政宗自身はまだ野望をあきらめておらず、状況次第で裏切る可能性があった。
- 政宗が裏切って上杉と手を結ぶと、三成と挟み撃ちされる可能性があった。
【藤堂高虎】 … 書状数7
- 外様ながら家康が最も信頼していた武将(後に外様としては破格の、譜代大名格として遇した)。
- 西軍武将を寝返らせる調略を担当していた。
- 東軍諸将間の調整役だけでなく、監視役も兼ねていた。
【池田輝政】 … 書状数6
- 豊臣一族に準じて遇されるほど、豊臣家と近しい存在だった。
- 裏切る可能性があっただけでなく、裏切った場合、豊臣家に近しい武将たちに連鎖する可能性があった。
このように、家康さんは厄介な人ほど密に連絡を取ることを怠りませんでした。
特に福島正則は自尊心の強い人物だったらしく、これだけ頻繁に手紙をくれることで、自分は大切にされていると感じ、気分を良くしたようです。
伊達政宗も、家康さんが最も警戒していた人物の一人でした。
若く野心的、腹黒さも兼ね備えた油断ならない人物で、離れた場所で情報が希薄になることで何をしでかすか分からない。
そのため、頻繁に現状を知らせる手紙を送り、関ケ原の戦いが終了したその日のうちに、政宗に戦勝の手紙を書いています。
密に情報をやり取りすることで、早まったことをしないようけん制していました。
政宗も頻繁に手紙が来ることで、気にかけてくれているとともに警戒もされていると感じ取ったようです。
藤堂高虎については、一般的に「主君を7度も変えた男」として裏切り者のイメージがありますが、実情は異なります。
自分を正当に評価しない主君を見切っただけで、己を認めてくれた豊臣秀長には終生忠義を尽くし、家老として後事を託されたほど信頼されていました。
家康もそのことを見抜き、知略も優れることから、譜代以上に信頼して密に連絡を取り合い情報収集していたようです。
2.接触頻度を増すことで親密度が高まるザイオンス効果
コミュニケーションの量が大切なことは、心理学の世界ではすでに確立された理論となっています。
「単純接触効果」、別名ザイオンス効果と呼ばれるもので、はじめのうちは興味が無くても、何度も見たり聞いたりすることで好意的な感情が生まれるというものです。
これを実践しているのがマーケティングの世界で、CMで何度も商品をアピールすることで関心を持ってもらい購入につなげています。
普段の世界でも“御用聞き”が、「何か必要なものはございませんか?」と頻繁に顔を出すことで商売につなげるケースや、営業マンが何度も顧客を訪問するのは営業活動の基本として皆さんが実践されているかと思います。
またモテる男性は、決まってマメな人が多いというのもそうです。
3.コミュニケーションの量を増やすには
コミュニケーションは、質より量が大切なことは分かりましたね。
とはいっても、「じゃあ、何をすればいいんだよ?」という声が聞こえてきそうです。
そのような方は、こんなことを思っていませんか。
①話す機会が無い
“働き方改革”もあって、今や勤務時間は自分の仕事に忙殺され、余裕のある時間が減っているかもしれません。
何百人もオペレーターがいる大規模センターになると、話す機会どころか、名前と顔が一致しない人だらけというケースもあるでしょう。
しかし、本当に話す機会が無いのでしょうか。
出勤や退勤時に、オペレーターの人たちとすれ違いますね。
エレベーターで一緒になるときもあるでしょう。
ランチ時に同じ店で、鉢合わせになることもあるでしょう。
もちろん社内での移動時にも、多くの人とすれ違います。
何もミーティングや面談をしなくても、声をかけるチャンスはたくさんあります。
自分から率先して声をかけてみましょう。
数をこなしていると、そのうち相手からも声をかけてきます。
②何を話していいかわからない
これもよく聞きますね。
とくに話下手な人ほど、緊張して何を話してよいか戸惑ってしまうようです。
まず大切なことは、一度にたくさん話そうとしなくてよいことです。
むしろ、話下手が無理してたくさん話そうとすると、余計なことまで口走ってしまいます。
話下手だと思っている人ほど、最初のうちは短い会話でとどめておきましょう。
「おはよう」
「お疲れさま」
「がんばってるね」
こんな短い声掛けで十分です。
慣れるにしたがって話す量を増やしていけばいいのです。
4.コミュニケーション機会を増やす一手
自分から声掛けする以外にも、いくつか仕掛けをすることで、コミュニケーションの機会を増やすことができます。
①話しやすい雰囲気を作る
穏やかな表情、明るい表情を作る
皆さんの上司がもし、いつもしかめっ面をしている、目つきが怖い、しょっちゅう怒っているとしたら、気軽に声がかけられますか。
センター内をうろつく
皆さんは自分の席に座りっぱなしになっていませんか。管理職となるとオペレーターから離れた場所に席があることが多く、そんなところにわざわざ出向くオペレーターなど限られています。
自分からオペレーターのほうに出向きましょう。
肯定的な物言いを心がける
何かを言ったときにいつも、「否定する」、「説教する」、「バカにする」上司には誰も話そうとはしません。
「こうあるべき」というような、“べき論”が口癖になっている人は特に注意が必要です。十人十色、人が違えば違った考え方もあると思える度量の広さを鍛えてください。
②自分を知ってもらう
上司がどんな人物で、どんな志向の持ち主なのか分からないと、部下はなかなか話しかけづらいものです。
自分の人事権を持っている上司ならなおさらです。
上司である皆さんも、部下がどんな人物なのか分からないと、なかなか心を開いて話しかけづらいですよね。
ひとつ事例を紹介します。
500人クラスの大規模センターに、ある部長さんが赴任されました。
さすがに全員と密にコミュニケーションを取ることは難しいです。
そこでこの部長は一計を案じ、毎週1回、メルマガ形式で全員にメールすることにしました。
メールには仕事のこともありますが、それ以上に普段あったことや、家庭でのことなど自分をさらけ出す内容のほうが多かったです。
社内で絵心のある人に自分の顔のイラストを描いてもらって遊び心を見せるなど、様々に工夫して情報発信をしていました。
この結果、全員とまではいきませんでしたが、部長に親しみを感じコミュニケーションを取る方も増えていったそうです。
また別の事例では、ある関西方面のコールセンターでは朝礼で1分間スピーチをやっていました。
さすが関西、その管理者は毎日スピーチで笑いを取ることを目標に、毎朝ネタを披露して笑いを取っていたそうです。
もちろんこのセンターの雰囲気はよく、管理者とオペレーターのコミュニケーションも十分取れていました。
このように、コミュニケーション機会を増やすことで、上司と部下の良い人間関係が醸成されていくはずです。
頑張ってください。
家康さんからの教訓
一番苦手な人、
信頼関係の弱い人ほど、
コミュニケーション機会を増やすべし。
【「其の二」に続く】