戦国武将に学ぶコミュニケーション術【其の二】
前回は、徳川家康のコミュニケーション術について説明しました。
今回は織田信長です。
まず織田信長と聞いて、皆さんはどんなイメージをお持ちですか?
先進的で大胆。
怖い。
情け容赦ない。
パワハラの極み。
戦国武将で最も人気のある人ですが、「かっこいい」と同時に「恐ろしい」人物というイメージも強くあるはずです。
しかしこの信長さんも、なかなかなコミュニケーションの達人でした。
目次
1.信長さんの場合
「気遣いこそ、コミュニケーションの本質だぎゃぁ」
信長さんがまだ岐阜を本拠とし、なんとか浅井を亡ぼした頃の話です。
大いに戦功があったということで1573年、当時の羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉に旧浅井領の一部を与え、長浜と地名を改めました。
秀吉にとっては、初めての城持ち大名の仲間入りです。
その有頂天たるや、油断するに十分なものがありました。
持ち前のスケベ心がムクムクと起こり、あちこちの女子に手を出します。
これに堪忍袋の緒が切れたのが妻の寧々です。
ただ叱っただけでは効果が無いと考えた寧々は、秀吉が最も恐れる信長に夫の不貞を訴え懲らしめてもらおうと考えました。
ちょうど信長に長浜のお礼挨拶することになり、寧々はその使節に加わり大量の貢ぎ物とともに向かいました。
到着すると寧々は濃姫の侍女を通じて夫のひどさを訴え、信長から折檻してもらうよう懇願しました。
その訴えは信長に伝わりましたが、同時にこのことを察知した秀吉からも、夫婦げんかの顛末を語り弁明するとともに、寧々の悋気(りんき:やきもちの意味)を逆に折檻してくれとお願いの手紙が届いていました。
部下とその部下の奥さんから同じような訴えを受けた信長は一考ののち、以下のような手紙を寧々宛に送りました。
手紙は三段構成になっています。
※実際の書状
「この地へ初めてやってきて、お目にかかり嬉しく思います。
特にいただいたお土産はどれも美しく、お礼の気持ちは筆にも書きつくしがたいほどです。
お礼にこちらからも何か差し上げたいと思いましたが、いただいたお土産が見事すぎるので、自分のほうからの返戻はわざとやめました。今度来た時にでも、何か差し上げましょう。」
・・・まず挨拶の序文として、贈り物に対するお礼を述べています。
「それにしても昔と比べ、お前(寧々)は例えて言うなら10のものが20まで上がったように、美しくなりましたね。
ところがお前がそれほどの美人であるのに、あの藤吉郎(秀吉)は不満を言うらしい。もってのほか、言語道断の曲事である。
お前ほどいい女房をあの禿げ鼠は二度と求めがたいのです。
だからお前も自信をもちなさい。」
・・・信長は寧々の気持ちに共感して寧々のために憤慨して見せ、自信を持てと励まします。
また寧々の溜飲が下がるように、「禿げ鼠」と秀吉のことをこき下ろしています。
「それほどのお前なのだから、これからは日常陽気にふるまい、主婦らしく重々しく、嫉妬するようなことをしていけない。
とはいえ、妻の役目として夫の火遊びを叱っても構わないが、言うべきことをすべて言わないようにしたほうが良いだろう。
なお、この手紙は羽柴(秀吉)にも見せてくれるよう頼みます。」
・・・ここから一転して寧々に説教が始まります。秀吉にも配慮した対応で、最後にこの手紙を秀吉にも見せるよう依頼することで、秀吉をも安心させようとする気遣いが見られます。
どうですか。
この論法は、まさに苦情応対やコミュニケーションの本質が凝縮しています。
①まず相手の気持ちを受け止める。
②そのうえで、伝えるべきことを伝える。それもネガティブな伝え方でなく、ポジティブな伝え方で。
こんなことを400年以上前の信長さんが身に着けているとは、凄まじい教養人といえますね。
2.相手の気持ちを受け止めるということ=「共感」
苦情応対が苦手な人や、苦情にしやすい人にはある共通点があります。
相手の気持ちを汲めず、屁理屈や言い訳に終始しがちです。
これは苦情の本質を理解していないからです。
苦情とは論理の問題ではなく、感情の問題である。
これが苦情の本質です。
皆さんが自分で苦情を申し立てるときのことを思い出してください。
その根っこにあるのは”不満”や”怒り”ですね。
それがたとえ自分の誤解であってもです。
もう怒ってしまったものはどうにもなりません。
振り上げた拳はそう簡単には降ろせません。
その不満や怒りを受け止めるものが「共感」です。
それでは「共感」とは何か。
共感については奥深い話になるので、今回は簡単にご説明します。
「私と仕事のどっちが大事なの?」
こんなことを言われたこと、または言ったことはありませんか。
これを言われたとき、どのように答えますか。
①あなたのほうが大事だ。
②仕事が大事だ。
③あなたも仕事もどちらも大事だ。
上の①から③は、全てアウトです。
どれを答えても、すぐに反撃され窮することになります。
なぜか?
それは”論理の問題”としてとらえてしまっているからです。
感情の問題として考えてみましょう。
この言葉を吐く相手は、どんな気持ちで言ったのでしょうか。
きっと何か寂しい思いをしていたのではないでしょうか。
自分がないがしろにされていると感じていたのではないでしょうか。
したがって、相手の気持ちを受け止めた返答が求められます。
「今まで、つらい思いをさせてしまったね、ごめん。」
こんな感じでいいわけです。
相手の気持ちを汲み、気持ちを返してあげること。
これが共感です。
3.「共感」はテクニック。誰でもできる。
さて、共感は何か難しそうだと思われたかもしれません。
実はそんなことはなく、形だけでも成立する“テクニック”です。
こんなケースに心当たりはありませんか。
A子「このあいだ、田中課長に意地悪されたのよ。ホント性格悪いし、好き嫌いで態度変わるし、云々・・・」
B子「うん、うん。わかるぅ。ホントひどいよね。」
A子「そうなのよ、この間だって、云々・・・」
しばらくA子の愚痴に付き合ったあと、仲良しのC子さんやD子さんと休憩室で...
B子「さっきさぁ、A子がこれこれしかじかって愚痴ってたのよ。田中部長もヤな奴だけど、A子もお互い様だよね。愚痴に付き合わされたこっちの身にもなってほしいわよ。」
...と愚痴を漏らすだけでなく、田中課長と話す機会があったときに、A子が課長の悪口を言ってましたよとチクった。
このケース、
B子さんはA子さんに共感して話を聞いていましたが、本音では同意しているわけではありませんでした。
でもA子さんはB子さんが共感してくれたことで、モヤモヤした気分を晴らすことができました。
そうなのです。
「共感 ≠ 同意」です。
共感は同意することに越したことはありませんが、同意できなくても相手の気持ちを汲んだ共感フレーズを返すだけで成立してしまいます。
ところが、これが男性は特に苦手なのです。
理由は分かりません。
想像するに男性は、「言動一致」や「有言実行」に対する美意識か価値観のようなものに縛られているのではないかという気がします。
なんてたって、切腹民族の末裔ですからね。
コミュニケーションには「問題を解決する」、「お互いの理解を深める」の他に、「気持ちを分かち合う」という側面があり、女性とのコミュニケーションにおいては、特に重要な要素です。
たとえその話に同意できなくても、同意を表す共感フレーズを返してあげるだけでいいのです。
そのことで、あとから責められることはありません。
この男女のコミュニケーションのすれ違いについては、また後日説明します。
ただし、何でもかんでも共感フレーズを返せばいいというものでもありません。
気のない返答をすれば、相手に話を聞いていないと察知されてしまいます。
相手に共感を示すには、多少の演技が必要です。
言葉に感情や気持ちを乗せることを忘れずに。
相手は共感が得られたことを確認すると、「それでね...」などと返答後にすぐ話の続きを始めます。
常に相手の表情を観察しながら話を聞くようにすればいいでしょう。
信長さんからの教訓
コミュニケーションに気遣いできない奴は、
おめえさんの明智光秀を生んでしまうに。