中国の偉人に学ぶ、尊敬されるリーダーのスキルとは【其の一】
仕事をしていると、クライアントからしばしば聞かれることがあります。
「管理者として身に着けるスキルで、一番重要なものは何ですか?」
そのとき、私はいつもこのように答えています。
「それは『徳』です」と。
そうすると反応はいつも決まって、
「得?」
いえいえ、そちらの文字ではなく、「人徳」のほうの「徳」ですと。
「『徳』ですかぁ、うーん。」
こんな感じで、なんとなくは分かっても、具体的に何をすべきか見えてきません。
今日はそんなつかみどころのないようなものについて考えてみましょう。
目次
1.尊敬されるリーダーが備えているものとは
皆さんに質問です。
皆さんがこれまでに出会った上司やお客さまのなかで、尊敬できる人物を思い出してください。
その方は、どんな方でしたか?
「仕事が出来る。」
「頭がいい。」
「親分肌で、皆をひとつにまとめていた。」
「自分を認め、色々と支えてくれた。」
いろいろな理由が出てきますね。
それでは、その尊敬できる人物の中で、その人のためならどんな苦労もいとわないという上司やお客さまはいらっしゃいましたか?
そしてその方はどんな方でしたか?
こうなると人物や理由は絞り込まれると思います。
たとえ火の中水の中であっても、ついていきたいと思わせる人物(リーダー)には皆、共通した特徴を持っています。
それは「人望」です。
学歴や能力を超えた”何か”が、その人に備わっており、周囲は勝手にその人の周りに集まり、その人のために奔走する。
でもそれが喜びですらある。
まことに不思議な能力です。
この「人望」あるリーダーが備えているスキルが「徳」です。
「人徳者」といったほうが分かりやすいかもしれません。
今風にいうなら、「人間力の高い人」ですね。
皆さんはこれまで「人徳者」という言葉を聞かれたことはありますか。
「あの人は人徳者だから。」
「まことに不徳のいたす所であります。」
「人徳者」と聞いて、皆さんはどんなイメージを持ちますか。
おおかた、こんな感じではないでしょうか。
- めったなことでは怒らない人。
- 自慢話もしなければ、人の悪口も言わない人。
- 人によって態度が変わることがない人。
- 弱い立場の人にも目配り、気配りが行き届く人。
- 揉め事を仲裁すると、必ず収まる人。
- 欲があるのかどうか分からないくらい、無私無欲の人。
経営の神様と言われる松下幸之助さんも、「徳」がないと部下はついてこないとおっしゃっています。
「指導者、経営者には、部下から、社員から、人々から慕われるような、徳というか、人間的魅力があってはじめて、指導者、経営者たる資格があるということやね。だからな、指導者、経営者はな、努めて自らの徳性を高める努力を、日頃から、しておかんといかんな。
指導者、経営者に反対する者、敵対する者もおるやろう。
それに対して、正しいからと言って、対応する、あるいはある種の力を行使することもいいが、それだけに終わるとな、それがまた、新たな反抗を生むことになってしまうわけや。
力を行使しつつも、いや、それ以上に、そうした者をみずからに同化せしめるような徳性を養うために、自分の心を磨き、高めることを怠ったら、あかんな。
部下は、徳がないとついてこんわ。わしもまだまだやけどな。」
(出展:ひとことの力: 松下幸之助の言葉 江口克彦著 東洋経済新報社)
なんとなく「徳」がリーダーとして、また上司として必要なことは分かってきたような、そうでないような気がしてきますね。
その「徳」について、明確に定義した人物が古代中国にいました。
2.「徳」のある人間とは
皆さんは、中国の歴史や歴代王朝といえば何を思い浮かべますか。
- 秦の始皇帝
- 三国志
テレビ番組や本・ゲームなどで人気ですね。
三国志の元になった三国時代は紀元2~3世紀の話で、日本では卑弥呼の時代ですね。
秦の始皇帝の中国統一は紀元前221年。
今日の主役はもっとさかのぼります。
- 周(および春秋・戦国時代)
- 商(「殷」で学んだ方がいるかもしれませんが、今はこちらの名称に置き換わりました。)
- 夏(中国最古の王朝、紀元前1,900年頃~紀元前1,600年頃)
さらにさかのぼり、神話伝説時代の三皇五帝期、堯と舜の時代の話です。
皋陶(こうよう)という人物がいました。
司空(法務大臣)の立場にあって、公平な裁判を行った人物として有名です。
初めて聞く名かもしれませんが、日本では閻魔大王のモデルになった人なので、なんとなくあの怖い顔を見知っているかもしれません。
(第四次川中島合戦で亡くなった武田信玄の弟、信繁を祀った典厩寺〔長野市篠ノ井杵渕1000〕に、インパクトある閻魔大王さんがいらっしゃいます。お近くにお立ち寄りの際は、ぜひ足を延ばしてみてください。)
画像引用:(公財)ながの観光コンベンションビューロー
この皋陶が語ったとされる、徳のある人間には九つの徳があるとした「九徳」が、後に『書経』や『貞観政要』に記され、今に伝わっているのでご紹介します。
一 寛にして栗(りつ)
寛大さと厳しさを兼ね備えている
二 柔にして立(りつ)
柔和だが、きちんと事が処理できる
三 愿(げん)にして恭
まじめだが尊大ではなく丁寧で、つっけんどんでない
四 乱にして敬
事を治める能力があるが居丈高ではなく、慎み深い
五 擾(じょう)にして毅(き)
おとなしいが、毅然としている
六 直にして温
正直・率直だが、温かい心を持っている
七 簡にして廉(れん)
おおまかだが、しっかりしている
八 剛にして塞(そく)
心がたくましく、また充実している
九 彊(きょう)にして義
豪勇だが、正しい
なんとなく、「徳」のある人物は何かが見えてきましたか。
作家の山本七平氏は、こんな面白い解釈でこれを説明してくれます。
「ここで『九徳』を逆に考えてみたい。『九徳』は相反する言葉が対になっているので、これを全部否定にして『不徳』に書き換えると、『十八不徳』ができる。
『十八不徳』の人問はつまり、徳のない典型的な人間ということになる。列挙してみると、
『こせこせとうるさいくせに、締まりがない』
『とげとげしいくせに、事が処理できない』
『不真面目なくせに尊大で、つっけんどんである』
『事を収める能力がないくせに、態度だけは居丈高である』
『粗暴なくせに気が弱い』
『率直にものを言わないくせに、内心は冷酷である』
『何もかも干渉するくせに、全体がつかめない』
『見たところ弱々しく、内も空っぽである』
『気が小さいくせに、こそこそと悪事を働く』
となる。
『不徳の致すところ』という言い回しがあるが、この『十八不徳』がまさにそれである。
『十八不徳』をもつリーダーの下で働きたい人がいるかといえば、だれもいないのが当然である。
これは日本だけかと思い、海外協力センターにおいて、日本で仕事をしたいという人に、日本の事情を話す機会をもったとき、『日本では九徳という概念があり、それを裏返した十八不徳のリーダーの下では、絶対に人は動かない』と話した。
ところが、彼らに『それはどこの国でも同じであって、そういうリーダーの下で働きたいと思う人はいませんよ』と教えられた。」
(出展:人望の研究 山本七平著 祥伝社黄金文庫)
うん、これは分かりやすいですね。
私もこんな上司の下で働くのは、まっぴら御免です。
3.「徳」はスキルである。
ここまで話してきて、ある疑問がわいてきたかもしれません。
「人徳なんてものは、その人が本来持って生まれた資質であって、誰もが人徳者になれるわけじゃないよ。」
そんなことはありません。
もしその人が本来持って生まれた資質、つまり先天的資質であるというのなら、人間の個性が現れ始めるといわれる3歳頃には、そんな人物がいるはずです。
「3歳児の人徳者」
「人徳のある幼稚園児」
聞いたことありますか?
「人徳者」と言われる人は?と名前を挙げると、たいていはそこそこ年齢がいった人ばかりになると思います。
少なくとも若年層より、熟年層のほうが多いはずです。
ということは、「徳」は先天的資質ではなく後天的資質、つまり備えることができるスキルであるということです。
では、どのようにして「徳」を備えることができるのか?
これについて、「徳」について語る書物全てが述べているのは、「自分を修めること」。
「自分を修める」とは何か?
「仁・義・礼・智・信」の五徳を学び、自分のものとすることです。
もし皆さんが、人から「人徳者」と呼ばれているなら、「自分を修めること」が出来ているといえるのですが、いかがですか?
上等な人間ってのは、
力で人を動かすようなことはしないもんです。
心で動かすんです。
−勝海舟